4/27

開館日

高岡市美術館

  • 高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー
美術館について
Museum

ごあいさつ

高岡市美術館は、1951年に古城公園内に誕生した旧美術館を前身とし、伝統と創造が織りなすひらかれた美術館をめざして1994年9月に現在の地でオープンしました。

当館は、全国的・国際的な水準・規模の優れた美術展覧会などを積極的に開催・誘致するとともに、美術家や研究者による講演や講習会を開催するなど、柔軟で幅広い美術館活動を行う企画運営型の美術館となっています。

収集活動においては、幅広く美術・工芸の作品を収集していますが、伝統ある高岡の金工や漆芸の作品を中核に、伝統に培われ、生活の中で育まれた造形美を現代に活かし、未来に伝える、全国的にもアピールできる特色あるコレクション群の形成をめざしています。多様な収集作品の展示公開は、常設展示会場の「ビコーレギャラリー」で行ってきましたが、2015年12月の「高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」の開設を受けて一時的に休室中のため、現在は企画展示室で開催するコレクション展において行っています。

また、当館は、市民にひらかれた美術館として来館者にやすらぎを与え、何度でも足を運んでみたくなるような地域に密着した活動をおこなっています。館の企画のみならず、市民の作品発表、講演会や講座などを通じた鑑賞活動の推奨や、美術に関する情報提供など、市民の幅広いニーズに対応しております。

今後も、当館が高岡からの文化発信の拠点(ハブ)として、美術文化の土壌豊かなこの地域の核となり、幅広い市民の皆様や美術愛好家など多くの方々に親しまれ、共に歩む美術館となることを願っています。

高岡市美術館 館長
村上 隆

美術館概要

美術館概要
名称

高岡市美術館

所在地

〒933-0056 富山県高岡市中川1丁目1-30

開館

平成6年(1994)9月

建築面積

3152.98㎡

延床面積

5,630.99㎡

展示面積

1,488.21㎡

構造

鉄筋コンクリート造、地上2階、地下1階、塔屋1階建て

 

地下駐車場83台 ※敷地隣接の高岡文化の森駐車場140台
企画展示室(3室)、高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー(2室)*、市民ギャラリー、ビトークホール、ミュージアムショップ、休憩コーナー**、光と水の塔、パティオ、テラス

 

*2015年12月に高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーが特設され、常設展示室(ビコーレギャラリー)は休室となっています。
**ティーラウンジの休業により2022年10月から無料休憩コーナーとなりました。

設計

内井昭蔵建築設計事務所

受賞

公共建築百選(1998年、建設省)

歴史・沿革

歴史・沿革

高岡市美術館の歴史は、昭和26年(1951)4月の高岡産業博覧会にはじまります。この博覧会のパヴィリオンの一つとして設けられた美術館が、恒久施設として残されたのが高岡市美術館の起こりです。
高岡市美術館条例の制定は、同じ年の8月。このとき当館は正式に発足しました。全国的にも同年11月に開館された鎌倉の神奈川県立近代美術館や高松市美術館とならび、第2次世界大戦後もっとも早く設立された公立美術館の一つです。当時、国内の美術館は東京都美術館、京都市美術館、大原美術館など数館を数えるだけでした。
昭和45年(1970)には「高岡市立美術館」と改称すると共に、隣接して高岡市立博物館が建てられ、大型展の開催も可能になりました。
平成4年(1992)2月、施設の狭隘化をうけて新美術館の建設に着手し、平成6年(1994)9月、ふたたび「高岡市美術館」として発足しました。

1951年(昭和26年)

高岡市美術館が古城公園内に発足、開館

1970年(昭和45年)

高岡市立美術館に改称

1992年(平成4年)2月

美術館の狭隘化により、新しい美術館の建設が決定

1994年(平成6年)9月

新しい美術館が完成、開館(現在の高岡市美術館)

建 築

建 築

高岡市美術館の設計は、建築家・内井昭蔵(うちい・しょうぞう)氏によるものです。隣接する富山県立高岡工芸高等学校に併設の青井記念館美術館も、内井氏が同時に手がけました。
外壁に用いられているのは、地元庄川産の砕石「紅桜」です。また、回廊の屋根やドアの引き手、サインの表示板、ベンチ、ごみ箱、灰皿など、あちこちに高岡伝統の鋳物技術を活かしたアルミキャストが使用されています。
こうしたディテールの豊かさに加え、館内には休憩コーナーが多数設けられ、随所で自然光をとりいれるなど、建築家が目指す「健康な建築」の実現が図られています。
地下駐車場へのアクセスを兼ねたシンボルタワーとして、「光と水の塔」があります。「雪吊り」を思わせるこの塔は、夜間にライトアップされます。この塔を中心とした回廊によって、全体としてのアンサンブルを形づくる試みです。
また、平成10年(1998)には建設省が全国の優れた公共建築を選定する「公共建築百選」のひとつに選ばれました。

建築家
 内井 昭蔵 うちい しょうぞう 
(1933-2002)

略歴

東京生まれ。1956年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業後、1958年早稲田大学大学院修士課程修了。菊竹清訓建築設計事務所を経て、1993年内井昭蔵建築設計事務所を設立。1993年~96年京都大学工学部教授。1996年に滋賀県立大学教授。
主な建築作品には桜台コートビレッジ(1971年、日本建築学賞)、世田谷美術館(1989年、日本芸術院賞)、吹上新御所(1993年)、国際日本文化研究センター(2000年、公共建築賞/近畿地区優秀賞)などがある。
また、富山県立高岡工芸高等学校・青井記念館美術館や、射水市新湊博物館、石川県七尾美術館など、県内・近県の建築も数多く手掛けている。

主な作品

桜台コートビレッジ(71年、日本建築学会賞)、世田谷美術館(1989年、日本芸術院賞)、多摩ニュータウン・ ベルコリーヌ南大沢都市計画マスターアーキテクト(91年、日本都市計画学会賞)、吹上新御所(1993年)、 国際日本文化研究センター(2000年、公共建築賞/近畿地区優秀賞)など多数。

著書

「健康な建築」(彰国社)、「フランク・ロイド・ライト 建築家への手紙(翻訳)」(丸善)、「モダニズム建 築の軌跡 60年代のアヴァンギャルド」(INAX出版)、「再び健康な建築 生活空間に倫理を求めて」 (彰国社、遺稿集)などがある。

シンボルマーク

シンボルマーク

高岡市美術館のシンボルマーク、ロゴ、封筒、便箋などのVI(ヴィジュアル・アイデンティティ)は、すべてグラフィックデ ザイナー・松永真氏のデザインによって統一されています。
このシンボルマークは、松永氏が高岡で制作したブロンズ彫刻から生まれました。「少年時代」と名づけられた作品は、表と裏、 二つの表情を持っています。あるときは真面目に、あるときはいたずらっ子のように……。
好奇心に満ちた少年・少女の心にもどって、美術との新しい出会い、美術とともにある楽しさ、美を 発見するよろこびを体験して欲しい、との願いがこめられています。

グラフィックデサイナー
 松永 真 まつなが しん 
(1940- )

略歴

東京生まれ。1964年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。資生堂宣伝部を経て、1971年松永真デザイン事務所設立。主な仕事に、平和ポスター、大ベストセラーになった「日本国憲法」のブックデザイン、「スコッティ」「ウーノ」などのパッケージデザイン。「ISSEY MIYAKE」「べネッセ」などのCI計画、高岡市美術館や国立西洋美術館のロゴマークを手掛け、グラフィックデザインを中心に幅広いジャンルで活躍。国内外で大規模な個展を開催し、ニューヨーク近代美術館をはじめとした世界各国に作品が所蔵されている。
毎日デザイン賞、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞・名誉賞、芸術選奨文部大臣新人賞、日本宣伝賞・山名賞、モスクワ・ゴールデンビー賞、ジタン・ブロンド国際指名コンペティション優勝、イコグラダ大賞、亀倉雄策賞、原弘賞など受賞多数。紫綬褒章、旭日小綬章。

代表作

セゾン美術館のグラフィック、大ベストセラーになった「日本国憲法」のブックデザイン、ヒット商品の「スコッティ」や 「ウーノ」 などの日用品のデザインから、ISSEYMIYAKE、リーガロイヤルホテル、ベネッセ、カルビーなどのCI・VI計画まで、 グラフィックデザインを中心に幅広いジャンルで活躍中。
ニューヨーク近代美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館 をはじめ、世界各国の美術館38ヵ所に多くの作品が永久保存。

著書

「グラフィック・コスモス-松永真デザインの世界」(集英社)、「松永真のデザイン」(講談社)、「Phollage(フォラ ージュ)」(駸々堂出版)、「松永真、デザインの話。」(アゴスト)などがある。

TOP